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「校長コラム Baptist Voice」第1声 聖書的パラドックス

関西単立バプテスト神学校 校長 村上 聡

 経営学者ピーター・ドラッカーの「コップの水理論」というものがあります。例えば、砂漠のような状況の中で、コップに入った水を持っていたとしましょう。コップをぶつけてしまい、水がこぼれ、半分になりました。「半分になってしまった」と考えるのか、それとも「まだ半分も残っている」と思うのか、皆様は、どのようにお考えでしょうか。「半分になってしまった」という思考は、慎重であるという意味において、大変優れていると思われますが、いつも物事を悲観的にとらえてしまう傾向があり、多くの可能性を否定しながら生きていることになるのです。そして、頭の中で、悲観的な未来を作り上げてしまうことになってしまうのです。

 CEOは、最高経営責任者として大きな企業の指揮をとるのですから、ありとあらゆる専門知識が要求され、知識の豊富な逸材でしか、そのポジションにはふさわしくないと考えるのが普通です。しかし、ここにひとつのパラドックスがあるのです。CEOに要求されているのは、具体的で特別な専門知識ではないそうです。大きな企業であるなら、法律、マーケティング、情報管理、商品開発等の一流の専門家は、もうすでに抱えているでしょう。CEOに要求されることは、専門的な知識よりも、目の前に大きな問題があったとしても、一抹の不安もないと元気な顔でいつづけられる心の強さと体力の持ち主だそうです。そう、夢を大胆に語れる人物なのです。

 私たちは、日々のニュースに翻弄されているかもしれません。知識が先行してしまい、今の状況を頭の中で悪いと判断し、悲観的な未来を作り上げているかもしれません。「人ができて、私はできない」「人にはあるのに、私にはない」と感じる時、自分は弱者であると思い、未来を悲観し、人生の幕引きをする場合もあるのです。このような負と思える状況の中で生きているのですから、私たちにも、人生の優れたCEOが必要ではないでしょうか。それは聖書であり、キリストです。聖書には、一見悪いことと思われるのに、実は祝福であり、神様の豊かな導きであるというパラドックスが、至るところにちりばめられてます。

 当時コリントの教会があったその町は、一度ローマによって破壊された町でしたが、そこには良港があり抜群のインフラを利用しない手はないだろうと再開発の計画が浮上してきました。そして、まるでローマが移動したかのような近代的なニュータウンとなりました。また、それなりの人々が移住したことにより、その教会は、社会的に優れた人々の集まりとなったのです。彼らは、「自分はできる、持っている」という自分の強い部分で人生を勝負していました。しかし、いつか失う時がくるのです。立場を失い、健康を失い、また、人と比べると劣等感に苛まれることもあるでしょう。その時、私たちはどうなるのでしょうか。ねたみや争いの中に自分の身をおかなければならないのでしょうか。そのような生き方に対して、パウロは、「私は自分の弱い部分で人生の勝負をする」と言いました。何故なら自分の弱い部分にこそ、神に対する信頼が生まれ、その信頼の上に神の無限の力が働くからでした。ここにパラドックスがあるのです。そう、人は、自分の弱い部分で人生の勝負ができるのです。

 世界的にも大変有名な企業家であるパナソニックの創業者松下幸之助は、「自分にお金と学歴と健康がなかったことがよかったのだ」と回想していたそうです。普通は、ないことに失望し不安を覚え、悲観的な未来を想像しますが、ないからこそ、他の可能性に気がつき、また、ないからこそ、今あるものに対する感謝が溢れ、活力となったのではないでしょうか。聖書に信頼をおく人々には、同じようなパラドックスがもっと身近にあるのではないでしょうか。

 自分の弱い部分が指摘されたり、浮き彫りとなるのは、とても辛いことです。コップの水が半分になってしまうこともそうです。しかし、その弱さにこそ神の力が働くことを期待して、残っている水の尊さに感謝したいものです。

 神様のあなたに対する本当の祝福は、これまでではなく、これからです。

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